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2019-04

自己矛盾実践の場としてのエンゲージメント協会


  先日、私が代表理事を務める「日本エンゲージメント協会」の研究会第2回目を無事終了した。前回のテーマは『空気の研究』と『戦艦大和』で、今回は『米国ザッポス社の視察報告とディスカッション』だった。どちらもすぐに答えを出すのではなく、みんなで考えることを目的としたワークショップだ。結果的には各人が自分なりの気づきを得てくれたようで、ワークショップとしては成功している。
 しかし、私は自己矛盾を感じざるを得ない。
 私が、人材育成や組織開発の世界に興味を持って以来、次から次へと新しいバズワードが現れ、そのキーワードの第一人者になろうとした人やグループが○○協会という一般社団法人を次から次へと立ち上げてきた。メディアも軽いもので、それを鵜呑みにして出版をしたり、時にはテレビの取材まで入ったりする。そこで浮く者もいれば、浮くことができず浮いた連中を嫉妬する者もいる。
 もちろん、それぞれの協会のやっていることに全く意味がないわけではない。これまでとは少しだけ違ったフレームでものを見たり、最新の事例が紹介されたり、それなりに学びになることは少なくない。
 しかし、いずれにしても「茶番」に変わりはないと思う。そして、その「茶番」を私はこの協会で演じているのだ。
 私のような小さなビジネスをしている者は、今のクライアントの支援に集中し、結果を出し続ければ口コミで別のクライアントに広がることになる。それがAuthenticなコンサルティング事業の拡げ方なのだろうと思うのだが、そんな地道な方法だけに専念せず、協会などという手っ取り早いマーケティングに乗っかってしまう「茶番」。正直、「茶番」と思いながらも、それをやりたいと思っている自分も認めざるをえない。
 そんな自己矛盾が自己嫌悪を引き起こす。自己嫌悪をする暇があったら「じゃあ、どうしたいのか?その答えを行動に移せばいいじゃないか」とポジティブでロジカルな人はいうかもしれない。しかし、人間には感情の襞があるのだ。そして、それがあるから人間なのだ。
 そう、私は代表理事である前に人間なのだ。こんな自己矛盾にウンザリするからこそ人間であることを証明できているとも考えられる。
 ボブ・ディランがフォークからロックに転向した時、観客がディランに「ユダヤ人!」と叫んだ。ディランはすかさず「あんたは嘘つきだ」と答え、さらにバンドのメンバーを振り返り「クソうるさい演奏をするぞ」と叫び、「Like a Rolling Stone」を熱唱し始めた。その時、ディランは、スターという役割を演じるよりも、純粋なアーティストとして好きな音楽を演奏したかっただけなのだ。
 しかし、ディランがキャリアを通じて純粋無垢な人であったはずはない。彼も、純粋なアーティストでありながらも、たくさんの「茶番」を演じてきたことは間違いない。アメリカで下着ブランド「ビクトリアズ・シークレット」のTVコマーシャルに出演したり、クリスマスソングのCDを出したり、あえて「茶番」をあからさまに演出しているような行動もとってきた。きっと、虚構の中の虚構を表現してきたのだろう。人間などしょせんそんなもの。スターも乞食も、虚構の中に生きているのだ。ディランほどの人物になれば、自己矛盾など鼻の穴の中にできた吹き出物程度の違和感でしかないだろう。
虚構の中の虚構を意識しながら「本当の自分」を一生懸命生きているようなふりをするのは「茶番」ではなく「ウソ」だ。
こんな文章を書く私という「茶番」がエンゲージメント協会で「茶番」をする。それを批判する人もいるだろうが、彼らは果たして「茶番」ではないことを何かしているのだろうか?
 こんなうざったい、出来れば目を背けたい自己矛盾に真摯に向き合うこと。それが日本エンゲージメント協会の提唱する「セルフ・エンゲージメント」なのだ。最後に協会の売り込みにつなげる「茶番」。いつまで続けられるか分からないが、もう少しやってやろう、この「茶番」を。いつか失われた「大茶番」に出会えるかもしれない。

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