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2010-12

仕事ストレスで伸びる人の心理学


 この本は、ポジティブ心理学でも重要なテーマである「レジリエンス(心の弾力性、打たれ強さ)」について、特に職場におけるストレスとの関連性について書かれたものです。ポジティブ心理学のそれとは、若干手法が違うようですが、こちらは「ストレス心理学」的なアプローチとして考えれば良いでしょう。
 結論からすると、逆境というものは成長のチャンスだということです。
本書の中では色々な、逆境を乗り越えた人、乗り越えられなかった人の実例が書かれていますが、上手く乗り越えた人はそこにある新しい変化や逆境に対してハーディネス姿勢(頑強さ)を持っているということが明らかにされたそうです。ハーディネスとは、
コミットメント
コントロール
チャレンジ
という3つのCから成り立っています。
●コミットメントとは、自分の仕事(やキャリア)が重要で価値のあるものだと考え、関心、創意、努力を100%注ぐに値するものだと思っていること。
●コントロールとは、周囲で起きている変化がよりプラスの結果をもたらすように自分が影響を与え続けようとしている(結果に貢献しようとしている)こと。
●チャレンジとは、変化あるいは逆境を受け入れ、充実した人生に向けて新しい道を切り開くための一つの手段だとみること。
この3Cの姿勢(これ、エンゲージメントですね)を持つことによって、次の2つの技術の習得を可能にしてくれます。
1) 問題解決型の対処:変化を広い視点で捉える。例えば、自分だけではない、とか、いつまでも続くものではない、本当の問題は何なのかなど。
2) 支えの交流:他人と積極的に交わる。助け合い、行き付け合い、ウィン・ウィンの解決を見出すように建設的に交流する。

ストレスが破滅のもとになるか、成長のもとになるかは、人がそれにどのように対応するか、あるいは認識するか、によるということになるのですが、その3Cの形成には幼児期の体験から来る思考のくせが影響しているようです。つまり、自分は重要な存在であり(コミットメント)、自分の日常にプラスの影響を与えることができると考え(コントロール)、今起きている変化を自分達の発達や成長に活かすことができる(チャレンジ)、と考えられるような幼児期を過ごしてきた人は大人になってもレジリエンスが高いのです。しかし、大人になってからもレジリエンスを高めることは可能で、本書の中にその方法論について書かれています。
 嬉しいことに、うわべだけの楽天主義はレジリエンスを高めない、という事例についても紹介されています。何事にも責任を感じず、問題の存在を否定したり問題を回避したりする楽天主義者は、(セリグマン的には長生きをするのかもしれませんが)その甘い楽天主義のおかげで「人生のどんな変化や逆境もすべて学習と成長のチャンスである」という考えに到達出来ない訳です。まったくその通りだと思います。
 まずは今何が起こっているのか?それはどんな変化。逆境なのか、それについて自分は思い込みを持っていないか、何かから目を背けていないか、などを自問しながら現実を論理的に理解し(この分析方法については本書内に「人間のABCニーズ」などが紹介されています)、そこから自分が成長できるような行動を取る、ということが重要なのです。
 とても鬱症状のある人に施せるものではないように思いますが、あくまで健常な人の卓越性を引き出すため、或いはハードワークに追われている人にその意味を見出してもらい、その辛さを乗り越えてもらうのには使えるのではないかと思います。「強みを活かせ」とか言って、その場の納得感や安心感、癒しあるいはまやかしで終わらしてしまって、行動に移ろうとしないのでは、結局自分を高めることにはならないのだ、という私の考えをある意味サポートしてくれる内容でもありました。

仮説思考


 論理思考だけではこれからのビジネス世界は渡っていけない、ということで巷では色々な思考法が紹介されていますが、その中でも「仮説思考」は実践的な思考法の一つだと言えるでしょう。本書もボストンコンサルティングで実践しているコンサルタントの方が著者です。
 業務のスピードを上げるため、また独自の発想をするためにも有効な仮説思考ですが、本書ではこんなようなことが書かれています。
●分析力=コンサル力ではない
●仮説思考によって分析のスピードがアップできる。要領よく仕事ができる。なぜなら論理的にいつまでもあらゆる選択肢を広げていても埒があかないからである。
●仮説思考には着想が必要
●仮説は正確ではない、確からしい答えである。また、実行案思考のアプローチでもある。
●仮説力はこれらの能力と共に結果を出す
先見性
決断力
実行力
●情報を捨てることも大切
●科学者は時に全体像を考えながら、実験する前に論文を書くこともある。
●間違った仮説でもいい、全体のストーリーを考えるところから学びがあるから。
●仮説によってメッセージが明確になり、人を動かしやすくなる。
●他者の視点から見ることによって仮説がひらめく。
●「So, what?」を常に繰り返すことによって。直感が磨かれ、仮説力が高まる
●思い込みを仮説と捉えて分析をしてみる。

 普段何気なくやっている「仮説」ですが、こうやって掘り下げてみるとなかなか深いものですね。勉強になりました。

戦略思考のできない日本人


 色々な著者の方々が日本人論というものを書いていますが、自分で100%納得できるものにはまだ出会ったことがありません。多分その要因の一つとして、日本人としての自分自身の経験、また欧米人との経験が各個人にとってそれぞれ独自のものなのに、他人に勝手に定義付けされてしまうとそれが自分やその経験をステレオタイプ化されたような気がしてしまうということがあげられると思います。
 そういう意味では本書の論調にも私の日本人観、欧米人観とは違った部分も少なからずあるのですが、ちょっと面白い視点で書かれているのでここで紹介します。

 まず、著者は西欧の文明を「要塞文明」、日本のそれを「無常観文明」と定義付けています。日本人がすぐに他人と協調するのは、所詮は諸行無常の世界であるのだから自分の我を無理に通しても仕方がないと考える、というわけです。
 さらに、それぞれの文明には3つの異なった法則があるとしています。下に西欧文化vs日本文化の順番で書きます。
「作為の法則」vs「自然(じねん)の法則」
「戦略の法則」vs「慣性の法則」
「契約・再契約の法則」vs「作用・反作用の法則」

 まあ、なるほどという感じですね。だから日本人は戦略的思考ができない、と言っているのですが、時代の流れ的には「無常観文明」の方が戦略的にもこれからより必要とされてくるのではないかと、個人的には考えています。

「対話」のない社会


 駅前で違法駐輪をしている自転車を次々と蹴散らしたり、メガホンによる客引きで騒音公害を引き起こしている八百屋からメガホンを取り上げ破壊したり、といった過激な行動を取り、文字通り「戦う哲学者」として言動を一致させている中島義道氏の著作は過去にも何回が紹介しました。
 私としては「正義の話をしよう」のマイケル・サンデルよりもむしろ中島氏によって哲学を身近に感じます。何故かって、この人はとても不完全で人間的なのです。その不完全さから職を失い、妻子に逃げられ、それでも「この下らなさ、理不尽さこそ、いやそれだけが人生だ」と言い切るところの可愛らしさ。ついつい著作を手にとってしまうのです。
 そんな、対人コミュニケーションという意味では全く卓越していないだろう中島氏が「対話」について書いた本書、興味深いですよね。
 もちろん、そこは中島義道先生、その辺のいい人面した著者とは違いハードにキメてくれています。「まずい英語でご勘弁ください」のような欧米人が呆れる日本人の謙遜的前置き。日本人の「ささえ合い」精神の中にある「対話」の否定。個人間の「小さな差異」から目を背ける対話的でない日本人のコミュニケーション、などなど、鋭い切り口で日本人の「調和性」やら「思いやり」というまやかしやらを切り捨てます。

 さらに中島氏は「対話」の条件として下の12の基本原理を挙げています。
1) あくまで一対一の関係であること
2) 人間関係が完全に対等であること。「対話」が言葉以外の事柄(例えば脅迫や身分の差など)によって縛られないこと
3) 「右翼」だからとか「犯罪人」だからとか、相手に一定のレッテルを貼る態度をやめること。空いてをただの個人としてみること
4) 相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉そのものを問題にすること
5) 自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、判断すること
6) いかなる相手の質問を疑問も禁じてはならないこと
7) いかなる相手の質問に対しても答えようと努力すること
8) 相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること
9) 相手との見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること
10) 社会通念や常識に納まることを避け、つねに新しい了解へと向かってゆくこと
11) 自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること
12) それぞれの「対話」は独立であり、以前の「対話」でコンナことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を棄てること

 デヴィッド・ボームは「ダイアローグ」の中で「対話」の定義として、相手を説得するのではなく、共通理解を探しだす行為だというようなことを書いていますが、中島氏の定義はより端的で具体的です。「戦う哲学者」にしては、かなり「社会通念や常識」に沿うような定義づけをしているかと思うのですが、それでも彼ならではの味がありますね。例えば2)、4)8)など。
 この人はとても聴覚によったコミュニケ―ションをとる人で、ノンバーバルなサインとか場というものを尊重することはあいまいさやまやかしを生むものだと考えているようです。さらに「指令性」の強い人でもあって、意見は言語でダイレクトに語るべきであって、「調和性」の強い人が自分の意見を抑えてコンセンサスをとろうとするのなんか我慢できないようです。
 しかし、こんな偏った個性でもここまで持論を固めしかも一貫した行動をしているという点は、相変わらず尊敬に値すると思います。本人の幸せ度合いは低そうですが、そんなことは知ったこっちゃないんでしょうね。
 

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