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2010-05

クルム伊達公子さんの快挙


 最近、暇があればWOWOWで全仏オープンテニスのライブ中継を観ているのですが、今回のクルム伊達公子さんの活躍には感動しました。
 伊達さんはかつては世界ランキング10位入りを果たしたものの1996年に引退。しかし2008年に「若い選手に刺激を与えるために」と言いながら現役復帰をし、今年39歳で全仏オープンに参戦したのです。一回戦の相手は世界ランキング1位にもなったことがあり、今でも9位、全仏では前回、前々回と連続で準優勝だったロシアのサフィーナ(24才)。だれがみても「やれやれ、悪い相手と当たってしまったね。」とため息が出てしまうようなカードでした。
しかも伊達さんは5月から右ひざを痛めており、今回の試合の途中でもけいれんを起こしてしまい、基本的に走れない状態での2時間半でした。1セットをあっさり取られてしまった伊達さんでしたが、2セットから伊達さんは、開き直ったかのように無駄な動きを止め、サフィーナの甘いショットは見逃さずにオン・ザ・ラインの際どい場所に正確にショットを決め、サフィーナを動揺させます。2セット目以降ジワジワとサフィーナを追い詰め、3-6、6-4、7-5で勝利したのです。最後の最後まで、結局は負けちゃうんじゃないのかー、と思わせる状態の中、結局粘り勝ったのです。
どうみても、サフィーナはもう少し落ち着いてプレイすれば勝てたのではないかと思います。相手は走れないわけですから。しかし、伊達さんの執念というか気迫がそれを許さなかったのでしょう。サフィーナはサーブのミスも連発し、精神的にもパニックしているようでした。
試合後、伊達さんは「うまくいかないことにイライラもしたけど、この場に立ちたい人は何人もいる。そんな場所に少しでも長く立ちたいと思っていました」とコメントしていました。
素晴らしいことばですね。もう無理かもしれない、と思いながらもただそこで頑張れるだけでも幸せ、こう考えられる人は強いでしょうね。
これはテニスの大舞台に限らず、人生についても言えるのではないでしょうか。「僕はキズだらけで、僕の人生はたいしたものでもないかもしれない。けれど、この素晴らしい世界に生きていることが嬉しいんだ。だからこの舞台に少しでも長く立っていたい」と素直に思える人は人生の一瞬一瞬を噛みしめ味わうことが出来、そんじょそこらの逆境であればそれも楽しみ、味わってしまえる人なのでしょう。それこそ、まさに、私が求めるユーダイモニアな生き方です。

ポジティブ・サイコロジー


VIA-ISの開発者であり、ポジティブ心理学のリーダーの一人であるピーターソン博士のこの著作は、これまでに翻訳されたポジティブ心理学関係の本の中でも特にお勧めしたい書籍です。先月出版された本ですが、今までのどの本よりも詳細にわたって、しかも幅広くポジティブ心理学をカバーしています。
しかし、タイトルをポジティブ心理学としなかったあたり、また本文の到るところに散見する、「いわゆる自己啓発としての『ポジティブ心理学』と一緒にしないでくれ」という強い想いが感じられます。これは翻訳をした宇野さんも同じ気持ちなのでしょう。私は以前宇野さんのプレゼンを観させて頂きましたが、そのまやかしではなく学術的に正しいことをやろう、という真摯な態度が印象的でした。
コップに半分水が入っているのを見たら「もう半分しかない」ではなく「まだ半分もある」と考えよう、などと言って喜んでいる人達は、ピーターソン博士や宇野さんにとっては我慢ならない人達なのでしょうね。
実は先月、あるワークショップでこの話をしたところ「スライドでコップの写真が出てきて、またお決まりの『ポジティブに考えよう!』みたいなくだりになるのかと思ってうんざりし始めたところで、『ポジティブに考えるだけでは意味はない。行動をしなければ』という流れになってホッしました。」と言ってくれたセンスのよい参加者の方がいらっしゃいましたが、そのコメントにこちらがホッとしました。未だに、「ポジティブになろうよ」という言葉に癒しを感じたい人がいるようなのですが、私はその癒しは長続きはしないと思います。ですから、そのようなコメントはしないようにしています。
さて、本書、簡単にまとめるのはもったいない、というか、余りに色々な情報が入っているので、まとめることは困難です。そこで、前半の中で私が赤ペンを入れた部分を紹介します。ここで興味を持った方は是非本書全体を読んでください。

ポジティブ心理学とは何か?
・今までの心理学は、人間とは欠陥のある脆弱な存在であるという、社会科学において広くはびこっている前提にもとづいてきた。
・通俗心理学の担い手や自己啓発系の語り手、はてはエセ教祖たちにくらべても、従来の心理学者たちはよりよい生き方についてほとんど語ってこなかった。
・人間の善良さや優秀さは、病気や障害や苦悩と同じくらい本物だ
・ポジティブ心理学の歴史は、少なくとも西洋はギリシャのアテナイの哲学者から東洋は孔子や老子にまでに及ぶ。
・ポジティブ心理学は生きる意味と目的を探求する、今までありえなかった心理学である。
・笑顔は人生をもっとも生きがいのあるものにするあらゆる要因の確実な指標にはならない。充実した活動に深く関与している時、自分が笑顔かどうかも分からないものだ。
・ポジティブ心理学者はスマイリー・フェイスよりも、ポジティブな特性や気質、親切心や好奇心、チームワーク、価値観、興味、才能、能力などについて研究を行っている。
・文化はよい人生の条件について何か熟知しているのだろうが、「必要なものはルックスとたくさんのお金だけ」という信念はパリス・ヒルトンくらいにしか当てはまらない。
・人生でネガティブな出来事に出合い、それに順応する期間を経た後、人生の満足度がしっかりしたものとなることが多い。
・ポジティブな人が否定する唯一のものは絶望。
・元気一杯の人が押し付けてくる元気さは有難迷惑。彼らがバカかどうかは分からないが、とにかく鈍感なのだ。しかし、全ての幸せな人がみなそれほど鈍感なわけではない。
・単純な楽観思考はリスクを過小評価してしまう嫌いがある。
・ポジティブ心理学はお金持ちになるためのキャンペーンでもなく、自己啓発系の語り手による呪文でもない。
・口先だけのポジティブ思考を広めることによって、人間が不幸になるのは単に選択と意思(そしてある本を買わないこと)の問題だと思わせてしまうことは危険である。
・私(ピーターソン)は気難しいと言われ、よく不平不満を言い(ヘビースモーカーだと聞いています:小屋)、微笑むより頻繁に人をジロっと見る、陰気な人間なのだが、そんな私でもポジティブ心理学について語る資格はあると思う。なぜならポジティブ心理学はポジティブ感情以上のものを扱うからである。
 ・ポジティブ心理学の柱
 ・ポジティブな主観的経験
 ・ポジティブな個人的経験
 ・ポジティブな制度
ポジティブ心理学について学ぶとは
・子供を育てるということは、子供の強みを見つけ、それを伸ばしてあげることだ。
・既存の心理学は、注目すべき人間の強みにほとんど関心を払ってこなかった。
・その人の弱点や欠点にフォーカスするのは、人生を生きがいのあるものにする、明らかによい半分を無視することになる。
・シニカルに、あるいは心半分ここにあらずといった状態で演習に臨んでも効果はない。
・学問の世界にありがちなのは、何が間違っているかを指摘し、熱意は表に見せず、自分がバカにされるようなことは一切やらない。
・ゆるしは美徳の女王、ゆるしとはまず謝ることから始めるのが一番よい。
・自分自身のための楽しみを追い求める姿勢よりも、他人の幸せを考えることができる姿勢を持っている方が、長い目で見て高い満足度が得られる。
・慈善のための行為は楽しみが長続きする。
・大切なのは、その人達が何を与えてくれたかではなく、どのように時間を与えてくれたかである。
・いいチームメイトの条件
 ・姿を見せる
 ・嫉妬したりしない
 ・分担以上に働く
 ・率先して奉仕する
 ・メンバーのよい側面を指摘する
 ・リーダーを助ける
気持ちよさとポジティブな経験
・ポジティブ心理学は快楽主義やちまたの幸福学よりもっと広義な分野である。
・快感の心理学的反対語は苦痛だけではなく、不安、罪悪感、恥辱感、退屈さなどの快感そのものと同じくらい豊かな感情である。
・カーネマンのピーク・エンド理論:過去の快感の強さについて考えるとき、人間の記憶は直接の経験における快感の強烈さに加えて、その経験がどのように完結したかによって左右される。どのくらい長く続いたか、ということは本質的に見落とされる。
・自分の快感についてクライマックスとよいフィナーレを構築すべき。
・人はある感情を持った時に、その反応がどれだけ長く続くかについて常に過剰評価するものである。(結婚についても言える)
・宝くじのような幸運を手に入れても、やがてその幸運に順応し、快感を感じなくなる。
・Emotionとmotionは同じ語源を持ち、感情は私たちを何かの行動に駆り立てる、ということが言える。例えば、恐怖は私たちを逃げたいと思うように仕向け、怒りは攻撃に、嫌悪はおう吐するという行動に駆り立てる。対照的に、ポジティブな感情は、そのような特有の行動傾向とは結びついていない。それはもっと漠然とした、広がりを持った方向性を示すようだ。
・ネガティブ感情は危険について警告し、ポジティブ感情は安全信号を出す。その結果、選択肢が広がり、未来に向けてその恩恵が得られる。
・ストレス・コーピング:ストレスの多い「本当の」状況においてポジティブ感情を経験することのメリットを実証。
・ミールによると、ポジティブな気持ちを経験する能力を快楽的能力、さらにポジティブ情動と呼ばれ、それは外交的パーソナリティ特性に結びついているとされる。
・ポジティブ情動の度合いが高い人は社会的に活動的であり、低い人よりも結婚している(あるいは幸せな結婚をしている)確率が高い。
・ワトソン:習慣的な気分を改善したいのであれば、思考よりも行動に注意するべきである。
・ジャンク・フロー:特に能力が試されることもなく、活力や満足感を与えたりすることはもちろんない。
・「畜生、オレはテレビを観るのがどうにも得意になってきている。俺のこの技を完成させるのに明日が待ちきれない」とは誰も考えない。
・喜びは一つ一つ味わう:将来よい出来ごとがおきるであろうと予測することで味わい、実際にその出来事が起きた時に味わい、後でその出来事を思い出して味わう。
幸せ
・60年前に書かれた作文にあったポジティブ感情は生存率に著しく関係していたのに、ネガティブかんじょうの方は無関係だった。
・快楽主義の対極の原点としてアリストテレスのエウダイモニアの概念(内なる自己{ダイモン}に忠実であること)にまで遡ることができる。この見解によれば、真の幸せとは、自分の美徳を見つけ、それを育み、その美徳にしたがって生きることで生み出される。
・「あなたの可能性を最大限に引き出せ」「世の中をすこしでもよくしよう」
・快楽主義が人生の満足度と関係がないとは言っていない。快楽主義はエウダイモニアに比べてあまり役に立たないが、必ずしもそのいずれかを選ばなくてはならないということではない。人生の満足度に関しては、これら2つの方向性が相乗作用となり得る。
・エンゲージメント(フローを生み出す活動に従事すること)
・必ずしもフローを生み出すすべての活動が意義深いをけれはなく、全ての意義深い活動がフローを生み出すわけでもない。
・主観的ウェル・ビーイングとは、通常、ポジティブ感情の比較的高いレベルのもの、ネガティブ感情の比較的低いレベルのもの、そして自分の人生がよりよい人生であるという全体的な判断であると定義されている。
・幸せとは、その人自身と、その人のものの見方による賜物である可能性がある。
・幸せとはよい人生を送るための単なる指標ではなくて、その原因の一つであるかもしれない。
 ・幸せに到る道の可能性
 ・快楽の追求
 ・エンゲージメント
 ・意味の追求
 ・勝利の追求

オレはここにいる


以前ポジティブ心理学のセミナーでEvidence-based Coaching(実証ベースのコーチング)の第一人者であるオーストラリア、シドニー大学のAnthony Grant教授のインタビュービデオを観たのですが、そこで彼は自分のモデルは誰かと聞かれ、こう答えていました。
「僕がモデリングしているのは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズだよ。何でかって、彼はワイルドで不健康なイメージを持たれているけれど、素晴らしいギタリストで、何てったって60歳を超えた今でもぶっ飛びのロックンロールを演るからだよ。僕もああなりたいと思うよ。」
ポジティブ心理学というと、一般的にはクリーンで健康的なイメージがありますが、その第一人者の一人が、麻薬不法所持やら拳銃不法所持などでの逮捕歴もあり、ステージに上がってきた観客をギターでぶん殴ったりと、かなりワルのイメージの強いキース・リチャーズをモデリングしているとは、ちょっと驚いたと同時に嬉しかったです。ポジティブ心理学もまだ捨てたもんじゃない、なんて改めて思いました。

 このキース・リチャーズですが、私はロックスターのワルのイメージを地で体現しているみたいで、むしろイメージと本当の姿とのギャップが大きいミック・ジャガーの方により興味を持っていました。もちろん、キースが深い人だろうとは思っていましたが、あまりにロッカーとしてカッコよすぎるので、敢えてフォーカスしなかったのです。しかし、今回このインタビューを観て、初めて、キースに関する単行本を読んでみることにしました。
 「オレはここにいる」なんて、いかにもキースっぽいタイトルですが、原題は「Conversations with Keith Richards」というそのまんまのタイトルです。で、そのインタビュー内容を読むと、これがまたミック・ジャガー顔負けなくらい知的なのです。その背景には、色々な逆境に出会いながらも「人生そんなもんだぜ」とメタ視点から鳥瞰してきたキースならではの強みがあったと思います。伝説のブルースマン、アレクシス・コーナーはこんなことを言っています。
 「ストーンズの中で中産階級でなく労働者階級の出身なのはキースだけさ。キースはもっとずぶとい信念を持っている。単なる比較の問題だけどね。キースは人生に対して開き直った所があるが、ミックは不安症タイプの男なんだ。『駄目になったらどうしよう』という不安に駆られて、狂ったように仕事をする。ミックみたいになるよりは、キースのように生きる方がずっと自然だね。」
 まあ、キースに関する本なので、キースについて礼賛しているのは当然ですね。私としては、それでも悪魔の異名をもちながらもジャン・コクトーを読み、フランス語を話し、飛行機の移動ではいつも読書をしているミックのストイックな姿には感銘を受けるのですが、キースの自然体の強さにも、やはり憧れますね。
 さて、本書の中にはキースの意外な知性を感じさせるコメント、エピソードが沢山あるのですが、いくつか紹介しましょう。
 キースは、ドラッグに溺れていたブライアン・ジョーンズ(元ストーンズのリーダー、69年没)の恋人、アニタをドラッグに明け暮れるパーティの日々から救い出し、二人は結ばれる。ブライアンから恋人を奪ったような形になります。キースは「アラブのシーク教徒のように、意を決して脱出したのさ」と言ったそうですが、キースはこのあたりから、危機に直面した時、いつも断固として態度を取るという自分なりのやり方を身につけ始めたのです。確かに、コンサートで暴動が起こったときのビデオを観ても、ビビってるミックに比べてキースは腹が座っていました。
 ミックについてはこんな鋭いコメントも、「今やミックは自分自身のことさえ完全には信じていないんじゃないか。それが、人間を自暴自棄にさせるような不安感へと繋がっていく。『自分自身に確信が持てるまで、自分をしっかり把握できるまで、他人とは関わりを持たない。そんなことしたら、本当に混乱してしまうのが落ちさ。・・ステージに立っている時は、周りをコントロールできる立場になるから、自分には半分神の力みたいなものが備わっているんだ、と思いこんでしまう。・・・それが単なるロックンロールなんだということを忘れてしまうくらいの忘我の境地になるんだろうね。』
 気安く声をかけただけでチャック・ベリー(50年代のロックンロールの生みの親)にぶん殴られたキースですが、その後音楽的に尊敬するチャックの映画プロジェクトに音楽監督として参画します。その時のコメント「おれも、たくさんの連中に利用されてきたが、そんなこと構うもんか。そうだろ?そういうストレスは克服しなけりゃ、とんでもない羽目になる。だから、おれは、チャックの分裂症傾向に対する心構えは、充分にできていた。彼の性格にはいろんな面があるが、それでも、おれは彼の音楽に惹かれている。チャックがおれの顔を殴りつけ、『てめえ、死んじまえ』とほざいたのは、昔のこと。」
 子供についてもキースのイメージには合わない温かいコメントが一杯です。「純粋で無邪気な存在がおれに笑いかける。ダディにキスしたい、抱きつきたい、と思っておれにまとわりつく。こんな温かい愛情を感じられるのは、人生でも特別なことだよ。昔を思い出させてくれる。自分が両親に注いだ愛情と同じなんだよね。もう忘れてしまった、懐かしい感情を子供たちが取り戻してくれる。」
 自分の両親が自分に注いでくれた愛情と言わないで自分が両親に注いだ愛情というところが、深いですね。
 「子供を持つ勇気があれば、それは喜ばしいことさ。子供たちと一緒にこっちも成長できる。子を持つ親は『一体、自分が死んだあと、彼らに何を残せるだろうか?』と考えさせられる。とんでもない汚染と恐怖の煮え立つ大釜に、子供たちを放り込むことになるのか。自分の子供に、本当の理解を持つ親はほとんどいない。子供は親の所有物か何かのように思っている。・・いつか自然に力にしっぺ返しをされるぜ。」
 そして、「才能」ついてはこんなことを言っています。
 「人間は誰しも才能を有している。自分の才能が何に向いているかを見つけ出せる状態にあるか、あるいは、それを見つけ出せるチャンスに恵まれているかどうか、の問題なんだよ。すべて本能と関係がある、と思う。最近になってわかったんだが、おれがこれまで学んだ経験―アート・スクール、第二次世界大戦、幼児期、ヒットラーの急襲など-は、人間というものはよくできた機械で、頭脳と本能とのバランスをいかにうまく保つか、という試練なんだよね。自分の本能を理解し、自分の知力を認識し、両方を融合させて、実践的に生かすことが大切なんだ。それは、誰にでもできる。誰でも才能を持っているし、効果的に使うことが可能だ。おれに才能があるくらいだから、誰にだってあるさ。頭脳に刺激が届かないため、衝動のままに行動するだけの人間が多すぎる、本能か頭脳か、どっちか一方をとるだけでは駄目さ。概して、くだらない考えは、本能ではなく、頭脳から出てくる、というのも面白いところでね。知力が本能に与える影響には、柔軟性があるべきなんだ。本能がもっと力を発揮してもいい。何百年も前に生じた人間の本能というものを、知的思考と調和させようという試み。衝動的発想を頭脳が咀嚼する方法。それは、非常にエキサイティングな体験になるはずさ。」
 凄いコメントです。本能と頭脳との調和、これはまさに才能とスキル・知識との調和ではないですか。こんなことを音楽活動を通じて学びとったキースは、本当の意味でポジティブな人なんだろう。
 「おれは歩く時限爆弾のようなものだ。同時に、家族を養う努力もしているし、バンドを維持し続けようともしている。この責任が、おれにのしかかっているんだよ。責任がどこにあるか、という問題はこういうことだろ。・・おれがステージを懸命にこなそうとしている努力には、誰も張り合うことはできない。そういうことさ。自分なりのやり方で解決していくしかないんだ。大事なのは、口でガタガタ言うより実行することだよ。」
 トーク・イズ・チープ。参りました。いくら前向きに考えてたって行動しなけりゃ駄目なんだよね。キース、さすがです。
 ストイックなミック・ジャガーも凄いけれど、無口だけれど自然体で何でも吸収し楽しんでいるキースの方が、実は強いのかもしれないですね、確かに。
 うちの親父はキースタイプだったのかもしれない。。。。

勝手に生きろ!


これは、アメリカのパンク作家、ブコウスキーの代表作で、40年代のアメリカで主にブルーカラーの職を転々としながら、決して一つの場所に安住せずにつらく下らない生活を笑い飛ばしながら暮らす男の話です。何が素晴らしいかというとその文章のリズムと、自分の愚かさを見つめるユーモアと客観性に満ちた目線です。
 この主人公は決して仕事にエンゲージ(仕事や職場と感情的に繋がって熱意を持って仕事をすること)なんかしません。例えばこんなセリフがあります。
 「おれがそこでどれだけ働いたかはわからない。たぶん6週間くらいだったと思う。あるとき、受け取り部門に回された。送られたズボンを発送時の伝票と照合するのだ。たいていは他の州の支店からの返品だった。伝票が間違っていることは絶対になかった。たぶん発送係はクビになるのが怖くて、おちおち手抜きもできないんだろう。おそらく、36回払いの車のローンは7回目、女房は月曜日の夜、焼き物を習い、借金の利子はべらぼうで、おまけに5人の子供はみな日に1リットルずつ牛乳を飲むってなところだ。」
 真面目に仕事をする人をこのように表現するわけですから、本人は真面目に仕事をすることになんて何の価値も感じてはいないわけです。しかし、彼は文章を書いていて、お金にはならなくても、こちらの方は毎日欠かさず続け、そこに誇りを持っているのです。このような社員は組織の中に結構いますよね。これ程パンキッシュではなくても、自分の趣味にエンゲージしていて、会社の仕事はあくまでお金を稼ぐ一番効率のよい手段でしかない、というような生き方。私は組織のメンバーが仕事にエンゲージするためのコンサルティングなどを行うのですが、このようなある意味「全くエンゲージしていない」人達を単純に「不要な人材」とは片づけられない難しさがあります。経営者からすれば、熱意のある社員だけに残ってもらえれば組織のパフォーマンスは高まるでしょうが、人を雇うということはそんなに単純なことではない。そんなことも考えさせる作品でした。
 実際のブコウスキーは郵便局に長く務めたようですから、この小説は自分の経験を元にしたフィクションでしょうが、おおむね著者もこのような心境で下積み生活を続けてきたのでしょう。このような、会社にとっては「使えない」、けれども人間としてはとても魅力的な人に光を当てる、という感覚はビジネスで効率ばかりにフォーカスしているとつい忘れてしまいかちです。しかし、これは人生を味わうのにはとても大切なことです。私もこの本を読むことで、ついつい偏狭になってしまった自分の視野を少し戻すことが出来たように思います。素晴らしい小説でした。
 ブコウスキーの作品は本国アメリカよりもヨーロッパや日本で人気があるようです。映画監督のウッディ・アレンもそうですが、アメリカという国は凄い才能を生むことがしばしばありながらも、それにマーケットが付いていけないことが多いようですね。まあ、そういう国もまた面白いとは思いますが。

VIA-ISとストレングス・ファインダー


 デトロイトで少し羽を伸ばした後、今回の旅の本命であるVIA-ISインテンシブという2日間のトレーニングを受けるためにジョージア州のアトランタに向かいました。
 VIAというのは、「人勢塾」の中でも紹介されていますが、ストレングスファインダー(「さあ才能に目覚めよう」で扱われているやつです)と並んでポジティブ心理学を背景にした「強み」を測定するアセスメント・ツールとして注目されているものです。今回の私の目的はそのトレーニングがどのように行われているのかを学び、またストレングスファインダーとの違いを明らかにすることにありました。
 さて、初日に会場に入ってみると、参加者は15人。全体的に年齢は高めで8割くらいが50歳以上、そのうち半数はリタイヤ間近という感じでした。女性比率も高く、15人中11人が女性でした。自己紹介で私が日本からはるばる来たというと、皆さんいたく感激してくれました。私の次に遠くから来たのはカリフォルニア州からきた会社の経営者で、殆どはジョージア州、或いはノース・カロライナ州からの参加でした。皆から「こんなところまではるばるよく来たね」と感謝されたのはよかったのだけれども、あまり珍しがられると何だか「オレはもしかしたら世界を股にかける大バカ野郎、あるいはグローバル愚人」ではないか、と不安にもなったのですが、セッションが始まって皆さんの鋭い意見が飛び交うようになるとその不安も払しょくされました。
参加者の半分が大学などでの教育者、残りがエグゼクティブ・コーチやカウンセリング関係者でした。その中に私も師事したマイケル・ホール博士のメタ・コーチの認定を受けている人がいたのには驚きました。
2日間だけのセッションでしたので、VIAについて充分に説明されたとは思いませんが、いろいろなワークをして結構満足できる内容でした。少し嬉しかったのは、大学で心理学を教えている方にフィードバックをして、ある問いかけをしたところ彼女は涙を浮かべながら自分の強みを使うことにコミットした瞬間があったことでした。私は「お涙ちょうだい」は趣味ではないのですが、「強み」が人の感情にこれ程訴えかけるものである、ということが確認出来たのが嬉しかったのです。本人からも随分感謝してもらいましたし。
ストレングスファインダーとの違いに関しては、まだ結論は出ていませんが、大体分かったつもりです。ストレングスファインダーは人のエクセレンス、あるいは「とんがり」を重視するのに対して、VIAは幸せへの貢献に重きを置いていて、その結果バランスが重要になるということです。ストレングスファインダーの方が行動に関する特性を扱いVIAは美徳を扱う、と言われることがありますが、前者も行動ばかりを扱ってはいず、思考・感情・行動のパターンを才能と呼んでいるわけですから、この点ではあまり大きな違いはないような気がします。後、もう一つの大きな違いはストレングスファインダーが「成人後強みは変わらない」ので、下位の強みにはフォーカスしない方がいいと言っているのに対してVIAでは「強みは変わりえる」ので下位の強みにフォーカスすることでさらに人間性を高めることができる、と言っているところです。
 実際私もVIAの中で最下位の強みに関して考えたところ、自分の今後のあるべきスタイルについて大きな気づきがありました。結局、どちらの方が上、ということではないでしょう。ストレングスファインダーの方がイケイケで、VIAの方が落ち着いている印象はありましたが、どちらも状況に応じて充分に使えると思います。あと、一番の違いはVIAはまだ日本語になっていない、という点ですが、これは近いうちに解消されるでしょう。

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